日本陶磁器産業振興協会
洋食器100年の歴史

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洋食器100年の歴史・MENU
洋食器100年の歴史 1日本の洋食器生産の黎明
洋食器100年の歴史 2洋食器セットの完成に向けて
洋食器100年の歴史 3洋食器セットの誕生
洋食器100年の歴史 4国際的な競争
洋食器100年の歴史 5日本の洋食器生産の発展
洋食器100年の歴史 6戦前における洋食器生産の黄金期
洋食器100年の歴史 7戦争の混乱と技術保存
洋食器100年の歴史 8戦争が終結して
洋食器100年の歴史 9高度経済成長とともに
洋食器100年の歴史 10変動為替制度と輸出品への影響
洋食器100年の歴史 11一般家庭への普及
高度経済成長とともに
Pink Rose洋食器揃(1957)宮尾商店(現・ミヤオカンパニー) 我が国における洋食器生産事業に大きく影響を与えたこととして、東京五輪の開催があります。開催に向けた多くのホテルやレストラン、新幹線や高速道路といったインフラが整備され、同時に磁器製洋食器の内地流通が活発化したのです。航空事業においては続々と国際線が就航し、欧州の一流レストラン日本店が続々と開店するなど、食事スタイルの洋食化も急速に進み、国内向けの洋食器需要が増大しました。さらに、米国におけるプレミアム商品(スーパーや銀行、ガソリンスタンドなどの景品)として日本の洋食器が採用され、一大ブームを巻き起こしたのです。

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変動為替制度と輸出品への影響
昭和46年(1971)には変動為替レートが実施され、一気に円高が進んだことで、北米向けの洋食器揃の出荷額が10年前のレベルまでに落ち込みました。

鳴海ボーンチャイナとニッコーボーンチャイナとノリタケボーンチャイナ

昭和49年(1974)、中東戦争に起因したOPEC諸国の石油戦略により石油価格が急騰したことで、生産者は更なる苦境に立たされました。この後、多くの生産者は北米に向けた洋食器販売を取りやめ、日本国内に向けた商品へと生産移行したのです。

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一般家庭への普及
ノリタケ100周年記念商品「四季彩舞曲」昭和30年代後半は、国内需要の増大と団地等の機能的な住宅が発達によって生活様式が大きく変革した頃でした。一般家庭には車やカラーテレビ、様々な電化製品とともにインスタント食品が普及し、洋食を食べることができ、洋食器の新たな販路としての一般家庭が注目されるようになりました。全ての器の大きさや形状が揃っている洋食器は収納性に優れていたため、団地等の狭い空間に適していたのです。

さらに、一般家庭の食卓がちゃぶ台からダイニングテーブルへと変わっていた頃であり、洋食器を販売する環境が整っていたのです。

鳴海ボーンチャイナ「クロン・ド・ミューズ」とニッコーテーブルセンチュリーチャイナとミヤオ硬質陶器「シルク・フラワーズ」

現在においては、生活や流行の多様化とともに最新機械の導入などにより多種大量に生産された器に囲まれ、一枚の器に対する注目度が薄れたのも過言ではありません。さらに、外国製の衣料、食物が当たり前のようになった様に、今や発展途上国の製品の質が向上され、日本製品の生産が苦戦を強いられています。

現在もこれからも日本の洋食器に誇れるものは何だろうか。先人たちの熱い情熱と共に国力を示し続けてきた「世界に愛された日本の洋食器」をもう一度見つめ直し、今後も生産が継続される日本の洋食器産業をささやかながら応援していきたい。 それが私達の気持なのです。

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