日本陶磁器産業振興協会
洋食器100年の歴史

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日本における本格的な洋食器生産の歴史、つまり一揃えのディナーセットとして量産体型が成立してからの歴史は約100年で、今から12,000年以上も前に遡るとされる日本の陶磁史においてはごく最近のことです。しかし、洋食器は我が国が幕末に開港して以来、外貨獲得を目的に開始した輸出品の主人公であり、さらには碍子や衛生陶器、様々な陶磁製品の生産に至る近代窯業の著しい発展を遂げるための礎でもありました。

洋食器100年の歴史・MENU
洋食器100年の歴史 1日本の洋食器生産の黎明
洋食器100年の歴史 2洋食器セットの完成に向けて
洋食器100年の歴史 3洋食器セットの誕生
洋食器100年の歴史 4国際的な競争
洋食器100年の歴史 5日本の洋食器生産の発展
洋食器100年の歴史 6戦前における洋食器生産の黄金期
洋食器100年の歴史 7戦争の混乱と技術保存
洋食器100年の歴史 8戦争が終結して
洋食器100年の歴史 9高度経済成長とともに
洋食器100年の歴史 10変動為替制度と輸出品への影響
洋食器100年の歴史 11一般家庭への普及
日本の洋食器生産の黎明
明治初期の輸出陶磁器 日本における磁器の発祥は1610年代の有田とされ、有田東端に位置する泉山における良質な陶石の発見が契機の一つとされています。

慶応3年(1867)のパリ万博では有田焼が大量に出品され販売にも成功、明治6年(1873)のウィーン万博でも有田焼が有田の陶石とともに出品され金賞を受賞するなど、欧州で高く評価されたのです。

一方、瀬戸の磁器生産は19世紀初頭に開始され、加藤民吉らが肥前から磁器製造技術を瀬戸に持ち帰ったことによるものと言われています。

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洋食器セットの完成に向けて
安政5年(1858)の日米修好通商条約の締結により開始された対米貿易は、日本の金銀貨とアメリカ側の安価なメキシコ銀で作られたドル硬貨とがその表記額で両替されていたため、良質な金銀が海外に流出していました。

六代森村市左衛門(1839-1919) 森村豊(1854-1899)当時、御用商人として幕府に出入りした六代森村市左衛門はこの現状を憂い、福沢諭吉から「貿易によって外貨を獲得する」ことを教えられ、この実行のために弟の豊(とよ)を福沢の慶應義塾で学ばせ、明治8年(1875)にアメリカに渡らせたのです。明治9年(1876)、市左衛門は東京・銀座に「森村組」を設立、豊は同年暮れに、ニューヨーク6番街に販売店を開設、日米間の輸出を始めたのです。

一方、日本橋で絵草紙屋「大倉書店」を営んでいた大倉孫兵衛は、錦絵を買い付けにきた市左衛門と横浜で出会い、輸出業に対する市左衛門の姿勢に感銘し森村組に参画することとなりました。

モリムラブラザーズニューヨーク店 当時の森村組は陶磁器だけでなく、漆器、絵画、屏風、金属器、竹製品などあらゆる日本の骨董雑貨を取り扱っていましたが、次第に陶磁器が最も有望な輸出品であることがわかってくると、やがて輸出品の主軸として取扱うようになりました。

また、陶磁器の素地の多くを瀬戸や美濃地域で生産されたことから、明治25年(1892)、名古屋市東区橦木町界隈に森村組名古屋支店を置き、素地集積地として量産の効率化を図ったのです。

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洋食器セットの誕生
明治中期の輸出陶磁器 創業当時の森村組の輸出品は趣向的要素の強い「ファンシーウェア」で、販売は好調でした。これらは壺や花瓶などが主体で、金やイッチン盛り(泥状にした磁器土をクリームの絞器状の道具(一陳:イッチン)で立体的な装飾を施す技法)、瑠璃(ルリ、コバルト)などの様々な装飾を施した豪華な作風でした。森村組はこれらを輸出品に順調な発展を遂げましたが、全ての作品は伝統的な手作業によるもので、1点の完成に3ヶ月以上もかかり量産による事業拡大は不向きでした。そのため、効率よく生産でき事業拡大に適する商品を検討した結果、アメリカの家庭で日常的に使われる洋食器揃の製造に至り、明治27年(1894)からその製造を志したのです。

そのような中、明治35年(1902)、ニューヨークのモリムラブラザーズをイギリスの貿易会社、ローゼンフェルド社の社長が訪問、陳列されていた日本のファンシーウェアに感銘し、製造方法を尋ねたのです。創業当時の日本陶器本社工場(1909)と当時の名古屋駅(1906)これに孫兵衛が丁寧に対応したことに特別な厚意を示し、白素地開発のための一助としてオーストリアのカールスバット・ヴィクトリア工場の見学を許可したのです。明治36年(1903)、飛鳥井と孫兵衛が訪問、さらにベルリンの粘土工業化学研究所(ゼーゲル研究所)で日本の磁器原料を化学分析してもらい、焼成温度1380-1435℃に適した白色硬質磁器の調合比「天草石54%、蛙目粘土23%、長石23%」を学んで帰国しました。この調合を元に、念願の洋食器製造に適した白色硬質磁器「日陶3・3生地」を完成させたのです。

日本最初の八寸ディナー皿 これを機に名古屋駅に近い則武(現・名古屋市西区)に「日本陶器合名会社」を創設、素地製造工場として操業させたのです。しかし6客揃や12客揃という複数で構成される洋食器揃は、その形状や大きさ、重さなどを全て揃える必要がありました。当時、和食器製造が中心であった瀬戸や美濃の窯屋にとっての洋食器生産は、既成概念を覆されるものでありました。

名古屋製陶所(現鳴海製陶)の製陶洋食器生産を志していた森村組の大きな課題は、8寸ディナー皿の完成でした。ディナー皿自体は純白で、肉や野菜などを切り分けるための「まな板」としての平面性が不可欠であったのです。その後の研究で、粘土原料の精製工程を変更、生地の形状を改良した末に、大正2年(1913)に念願であった8寸皿を、その翌年には国産初の洋食器揃「SEDAN」完成させたのです。初出荷した20セットはたちまちに売れ、翌年には2,000セット、翌々年には11,000セット、さらにその翌年は32,000セットと生産が急増、世界の食卓に日本の洋食器という可憐な花が咲き誇ったのです。

明治末の名古屋港(1907開港)飛鳥井は、その後、日本陶器を退社、後に名古屋の貿易商である寺沢留四郎、中村弥九郎らと出会い「帝国製陶所」を立ち上げました。創業時は家内制手工業による陶磁器生産工場として食器類を生産したのですが、後に名古屋の財界人らの協力により欧州製窯業機械を導入、「名古屋製陶所」と改称して日本陶器と比肩される会社に成長させました。

そしてもう一人、8寸ディナー皿を完成させた江副孫右衛門ですが、彼は日本陶器の工場長として重職に就くほか、大倉和親が設立した東洋陶器(現・TOTO)や日本碍子(現・日本ガイシ)、日本特殊陶業の社長を歴任、後に故郷・佐賀県有田町の町長に就くなど様々な分野で活躍し、要人となったのです。

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国際的な競争
元々の陶磁器は実用品としての目的以外に高度な美術的要素を備えたものでもありますが、明治時代以降の日本の陶磁器工業は販売できる商品を作ることに専念していたのです。これは幕末の開国以来、日本が低い経済的背景にあり、外貨獲得のための行為による代償でありました。輸出品として初期に取り扱われていた東洋趣向の強い雑貨類、ファンシーウェア、さらに洋食器揃やノベルティ(人形、置物類)などにおいても欧米で流通していた典型的なパターンを模しており、どのように近付けるかにこだわった要素が強かったと思われます。特に、洋食器揃の輸出は国際的な競争力が必要としており、いかに既存の欧米諸国製品よりも安く売るかが重要であり、コストの削減にも重点が置かれていたのでした。

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日本の洋食器生産の発展
名古屋硬質陶器(現・ニッコー)のポスターと「山水」洋食器揃 日本硬質陶器(現・ニッコー) 日本の洋食器生産は世界の名窯製品に比肩する白色磁器製品を創出し、量産においてある程度のレベルを維持できる体制を整えることが必要でしたが、同時に、欧米諸国以外に東洋各国へ販路を拡げ、さらに国力増大のために新たな動きを行うことが必要でした。

日本を代表する洋食器量産工場に、金沢で明治42年(1907)に設立された日本硬質陶器株式会社(現・ニッコー)があります。明治初期に、海外から「オランダ焼」と呼ばれた硬質陶器製品が輸入され、異国情緒の漂う実用的な器でした。石川県では九谷焼が伝統的なやきものとして生産されており、新たにもたらされた欧州の肉皿やコーヒー碗は生産者にとって刺激的なものでありました。また、地元では生産に不可欠な長石や陶石、陶土などの原料が産出する鉱山があり、加えて石川県出身の友田安清と吉村又男兄弟、金沢の財界人・林屋次三郎の三人が揃ったことも金沢で本格的な硬質陶器生産工場の設立に繋がったのでした。



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